特別寄稿 ほほえみ第49号(2008年1月)

特別寄稿 ほほえみ第49号(2008年1月)

2008.01.01

『笠島理事長・副理事長方の地域医療・介護・特殊疾患診療等へのご貢献に関する
大学勤務医の立場からの評価』

 

前 富山医科薬科大学医学部
外科教授 山本恵一

 

  紫蘭会の弘報誌「ほほえみ」は毎号お頒けいただいて精読する機会を得ておりますが、故尊父 笠島宗夫先生が既に三十年以上も前に、来たるべき今日の医療界の大変革を見据え、旧市街地の医院を現在地に移して、壮大な構想を夢見ておられたことは、ご生前親交を賜わつていた私は存じておりました。しかし四八号を超える各号を通覧して思うことは、尊父のご計画、期待を数倍超越して、全国的視野から見ても、診療(健診・治療)介護のみならず、長期ケァーを要する特殊疾患(難病)専用病棟まで整備された他の追随を許さないユニークな地域の中核施設にまで発展されたことは、唯々驚嘆のほかありません。本号に拙稿を提出せよとのご依頼に接し、これまで戴いたご交誼の数々が脳裏をよぎるのですが、まずは紫蘭会員の皆様がこれまであまりご存知なかつたであろう笠島 学理事長の富山医科薬科大学(現 富山大学医学部)時代のいくつかの注目すべき御業績を記し、責を果させていただきます。

 

  1.笠島先生を富山医科薬科大学第一外科へ招聘したいきさつ。昭和五六年、大学創設後五年経つて附属病院も整備され、日々の臨床教育、診療、研究も漸く軌道に乗り始めて来た頃、一番困つたのは優秀な教官の不足でした。新設医校として、隣県の金沢大学に負けるな!金沢大学を追い超せ!の理想に燃えていた私たちは、全国の医学部、病院に向けた招聘運動、勧誘に取り組みとくに富山県出身者で、各大学で活躍中の方々に焦点を合わせて励みました。その中に、丁度慶応大学医学部を出て、静岡赤十字病院外科におられた笠島先生を識る機会があり、尊父も令息の富山医薬大勤務を望んでおられるという好条件もありましたが、当時の笠島先生ご自身は臨床研修の機会の豊富な関東近郊での病院研修になお未練がおありであつたようでした。しかし尊父と私どもの期待に応えて昭和五七年に来富が実現しました。

 

  2.笠島先生の富山着任後、臨床指導臨床研究上とくに顕著であつた成果。   a.当時北陸では漸く実用化しつつあつた、腹部超音波検査、超音波内視鏡検査等について、すでに二千例を超える経験をお持ちの先生は、着任後即時に附属病院外科、内科を問わず消化器部門(肝、消化管)より指導を乞われる立場となられ、その優位は数年揺らぐことはありませんでした。   b.それに加え、前任病院での経験を超えた胸部諸疾患(とくに心臓・大血管)に対する超音波検査技術の開発に着手して、その実用化を達成されました。わが第一外科は心血管外科担当科であるゆえ、多数の患者が恩恵を被つたこととともに、全国諸大学、病院に伍して学会などでも先端的な発表を試みることが出来ました。   c.乳腺疾患、とくに乳癌の超音波診断(集団検診を含む)に多大の協力をされたこと。先生の着任当時は現行のマンモグラフィーは未だ実用化されておらず、体表走査型超音波検査が、ベッドサイド、および集検上繁用されていた。附属病院での実技指導に加えて、年間に三、乃至四万人を対象としている富山県健康増進センター(日本対がん協会富山県支部)のがん検診活動に協力すること多年に及んだことで、同グループを含めて、県医師会が協会表彰を受けたこともありました。

 

  3.慶応大学時代から引続いて担当されていた原発性肝癌に対する切除療法の指導、ならびに切除材料を対象とした臨床病理学的研究、とくにその病理形態と切除後治癒率に関する研究(学位論文)。笠島先生は前任大学時代より、同大学外科 都築俊治教授との共同研究を展開中であり、富山着任以前から同大学外科で取扱つて来られた多数の肝癌症例に対する切除経験に基く手術指導をされました。それに加え、研究途上にあつた肝癌切除標本多数の病理形態上の特徴と、切除後の治療成績(予後)との相関についての研究を完成され、学位請求論文として富山医科薬科(教授会)へ提出されました、当該研究はわが国では得難い外科切除肝癌に対する臨床病理学的研究として今も高く評価されています。以上が富山大学医学部の創建当時、私どもの医学教育の現場に身を挺して参画され、ややもすれば臨床面では他県の後塵を拝し勝ちであつた富山県の医学振興に貢献して戴いた笠島先生のプロフィールの一端をご紹介申し上げた次第です。今や地域医療・介護・特殊疾患診療の分野において、私どもとは多少趣の異なる領域であるとは申しながら、往年に勝るご活躍を展開しておられる紫蘭会スタッフ各位の益々ご発展を祈りつつ、筆を擱かせて戴きます。