『笠島學先生の若き日』
慶應義塾大学外科 元教授 都築 俊治
21世紀に入ってからはや10年余が経過しました。空想科学小説の話と思われていた宇宙探索が現実化し、神秘と考えられていた生命の問題も驚異的な速さで解明されつつあります。新しい情報は情報技術の進歩によって全世界に急速に拡がるようになり、社会は大きく激しく変わりました。遥けくも来つるものかなとの感慨とともにかつて一緒に仕事をした人々の活躍に心をよせるこの頃です。
笠島學先生と私の出会いは今から36年ほど前にさかのぼります。笠島先生は慶應義塾大学医学部を昭和47年3月に卒業された後、外科学教室に入局されました。慶應の外科には6年制の卒後研修制度がありますが、後半の3年間には研究期間があり、希望する研究グループに入って研究をすることになっております。当時できたばかりの肝臓グループに入られ、昭和50年5月から私と一緒に肝がんの研究をすることになりました。その頃、肝がんは治らない病気とされていましたが、何とか治療できないものかと少数の先駆的施設で肝切除が行われておりました。がんの手術成績を論ずる場合には切除されたがんがどれくらい進行したものであるかを一定の基準によって判定しなければなりません。そのためには肝がんがどのような方式で進展するのかを明らかにすることが必要です。そこで切除例と剖検例について、その進展方式を病理学者と共同で調べて欲しいとお願いしました。笠島先生は真摯に、着実に課題に取り組まれ、肝がんの主な進展方式は門脈・肝静脈に腫瘍栓を作って非がん部に転移をつくることであることを明らかにされました。この綿密な研究の成果を土台にして昭和58年4月に日本肝癌研究会編「臨床・病理 原発性肝癌取扱い規約」(初版)が上梓され、肝がんの治療成績が全国で統一した基準で報告されることになりました。研修を修了後、静岡赤十字病院を経て高岡市に戻られましたが、御尊父とともに病院の建設を進めながら富山医科薬科大学(現富山大学医学部)第一外科において山本恵一教授(現名誉教授)のご指導を仰ぎ、肝がんの進展方式についての学位論文によって医学博士の学位を受けられました。若き日の笠島先生は静かな情熱をもって開拓期の肝臓外科の一翼を担われたのでした。
今年7月には、光ヶ丘病院の誕生を第一歩とする医療法人社団紫蘭会が創立30周年を迎えられるとのことをお慶び申し上げます。地域に必要とされる安全で質の高い医療やケアを提供すべく真摯にとりくまれ、また実現するために多数の有能な人材を育成しておられることに感服しております。貴会がますます発展されますことを心から祈念いたします。
『都築先生との思い出』
理事長 笠島 學
慶應外科に入り、まだ未知の世界であった肝臓外科を選び、助教授時代の都築先生に出会えたことは本当に幸運でした。先生は冷静に着実に、個々の手術例を非常に丁寧に扱われ、手術経験から得た臨床研究の着眼点はオリジナリティに富んでいました。慶應肝臓外科の黎明期を支えた6学年7人で毎年ご夫妻を囲む「都築会」を開催していますが、傘寿を迎えられ、益々お元気な先生のお顔を見るのが楽しみです。