ごあいさつ

ごあいさつ(理事長)

 

理事長のご挨拶

医療法人社団紫蘭会 理事長

笠島 學
かさしま まなぶ

 

2020年ごろから始まった、病院は病気の人だけのものではない、地域みんなで作り上げ盛り上げていくという「ひかりプロジェクト」の新しい風が吹いています。音楽療法や臨床美術、リハビリファーム(園芸・農)はマスコミに大きく取り上げられ、2022年には、車いすや歩行器の方も利用できる高さのある畑(レイズドベッド)の拡大などを目的として、高岡市クラウドファンディングに挑戦し、最高金額を集めました。そのようなイベントでの、皆さんの生き生きとした姿を、職員がSNSで発信を行っています。2023年春の「さくら祭り」では、新しいロゴマークとタグラインを披露し、芸術療法体験を行いました。2023年9月には国宝瑞龍寺で高岡銅器をテーマに音楽のイベント「ヒカリズム」を行い、170名以上の方に参加いただきました。さまざまな取り組みを通じて、地域に開かれた病院として法人の知名度はアップし、今までのイメージを打破してくれました。農・音楽・アートなど癒しの心を持つ非常にユニークな病院となりつつあります。

 

1981年に開設し間もなく237床とした光ヶ丘病院は、当時珍しかった付添人不要が好評だったようです。急性期治療は公的病院に任せ、慢性期医療や在宅医療、予防医療に着目し、1990年に父が開設した介護老人保健施設おおぞらには通所リハビリが必置であることから、早くからリハビリや訪問看護、訪問介護などに力を入れてきました。1993年に人間ドック棟の開設後の翌年に父が早逝しました。1997年から2年余かけて既存病棟の改修と病床数を増やさずに120床の新病棟を、補助金を得て新設しました。既存病棟は廊下幅を広げ8人部屋を4人部屋に、2人部屋を個室に改修し、病室を入浴場に改装し、1人10平方メートルを確保しました。2000年の介護保険発足時の初回ケアマネージャー試験は皆が盛り上がり、実に40名超の合格者を輩出できました。在宅関連では、2001年ケアハウスを県最初の医療法人立で開設し、介護老人保健施設おおぞらに地域包括を開設し、認知症初期集中支援チームが活発に活動し、老健グループホームを有料老人ホームに変換しました。医療を要する認知症かつ寝たきりの重症患者を多く受け入れ、2003年県内唯一の特殊疾患療養病棟、2018年介護医療院を時代のニーズに合わせて開設し、一般病棟と2つの医療療養病棟となり、2015年電子カルテを導入しました。連携が最も重要と考え、地域の開業医の先生方との地域連携の会を毎回厚生連病院に参加してもらい定期的に開催し、現在も活発に活動し顔の見える関係を築いています。

 

富山呉西地区には脳卒中や骨折後の集中的なリハビリ訓練を行う、回復期リハビリテーション病棟が少なく、地域のニーズが高いと考え、回復期リハビリテーション病棟を医療療養病棟から転換し、2023年8月から稼働しました。県から補助金を得て、リハビリ室を全面改装し、魅力的なリハビリ機器も多く取り入れました。病棟も大幅に改装し、車いすで利用しやすいようにトイレを改修しました。急性期治療を終えたら速やかに受け入れできるように、基幹病院との厚い信頼関係を築き上げています。

 

病院は病気を良くして在宅などに帰ることをサポートするところです。患者さんには尊厳を尊重して真摯に対応し、1人でも多くの人が笑顔で過ごすことができるケアの質の向上に努め、高岡を元気にしていきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

昭和41年
(1966年)3月
富山県立高岡高校卒
昭和47年
(1972年)3月
慶應義塾大学医学部卒
昭和47年
(1972年)5月
慶應義塾大学外科学教室に入局
昭和56年
(1981年)7月
富山医薬大 第1外科へ(助手→講師)
平成4年
(1992年)6月
光ヶ丘病院副院長

平成6年

(1994年)11月

医療法人社団 紫蘭会 理事長

(兼 光ヶ丘病院院長)

平成8年

(1996年)11月

社会福祉法人 高岡市身体障害者福祉会 理事長

平成24年

(2012年)

公益社団法人 全日本病院協会 富山県支部 副支部長

平成14年(2002年)4月〜

令和2年(2020年)3月まで

 富山県介護老人保健施設協議会会長 兼 公益社団法人 
 全国老人保健施設協会 富山県支部長:(:現在は顧問)

委 員 高岡地域医療推進対策協議会、高岡地域医療構想調整会議委員
資 格

超音波専門医および指導医
消化器病専門医
人間ドック健診専門医
外科認定登録医
医学博士

(令和6年2月現在)